甚く共感
痛く、でもいいらしい。
甚だしく、非常に、の意。
巡回が日課のブログより
言葉は投げれば良いというものじゃなくて、伝わってこそ効果がある。
伝わらない言葉はオナニーにすぎず、公然とオナニーする人はたいがいだめなやつだ。
伝わらない“可能性を秘めた”言葉を投げかける人は、言葉について鈍感だ。
鈍感なまま鈍い仕事をしたり、鈍い日常会話をしたり、そういうので成り立っている世界があるけれども、
そんな生ぬるい世界には絶対いきたくない。
適切な言葉で微笑ませたり、喜ばせたり、ときには全力で傷つける能力があったほうがいい。
人生おもしろおかしく生きるためには、想定外のことをなるべく無くした方がいい。
不慮の言葉で、不慮の事態を招くのはすっげえ得策じゃないと思う、まる。
痛く共感こそすれども、
自分のブログを振り返ってみると公然とオナニーしてる感はある気がする(←
ダメじゃん。
けど、常に言葉について敏感でありたいと思っているし、
そうあれるように日々努力はしてるつもりだ。してるつもりだ。
大事なことなので二回言いました(←
>適切な言葉で微笑ませたり、喜ばせたり、ときには全力で傷つける能力
直接話すときは感情表現があるからまだいいけど、
こういうブログなんてどうとられるかは読者次第。
がっつり書くときは大抵一つくらいはネタを仕込んでるつもりではいるけれど、
華麗にスルーされてることも多々あるんじゃないかと思う。
え?そこなの?というツッコミは禁ず。わかってるから。
でも相手に結果的に良い影響を与えられるのは、
適切な言葉を選んでこそではあるよね。
なんでこんなどうでもいいブログ書いてるかって、
そろそろレコーディングに出発しなきゃいかんのだけど
この微妙に余った時間でさえ何かしてないと落ち着かないからです。
出発ギリギリまで何かして粘るって人いないのかな。